第4回 律令政治の世の中


奈良時代

710〜784年、奈良に都が置かれていた時代。律令国家の発展期であると同時に、政治・社会面で動揺の激しい時代でもあった。

◎平城京を中心に国家の力が充実する


★KEY-POINT


◎貴族による仏教中心の天平文化が栄える

  1. 天皇・貴族が仏教を重んじた→仏教文化(正倉院の御物・東大寺の大仏)
  2. 遣唐使が派遣され、唐の文化が流入→唐風文化
  3. わが国最初の歴史・地理・和歌の書物が生まれた。

◎公地公民制は奈良時代の半ばに崩れ始める

律令制度を支えていたのは租庸調に代表される税制。しかしこの税負担がとっても普通の農民にはきつい。それに人口も増えてきた。さぁ、たいへん。
農民の生活苦→逃亡・浮浪→口分田の荒廃→口分田の必要→税収確保のため、朝廷が開墾を奨励する。
人口の増加→新しい口分田が必要


★KEY-POINT


この2つの法は、律令制の基礎である「公地公民」を崩すきっかけになったから、重要。2つとも漢字で書けるようにしておこう。
さて、有力貴族や寺社は、浮浪する農民を集め、土地を開墾して私有地を増やした。この私有地が荘園の始まり。

◎農民の生活

租税や労役に苦しんでいたのは先述の通り。この頃の住居は原始時代とあまり変わらない粗末なたて穴式住居が多く、山上憶良の貧窮問答歌(万葉集に収録)にみられるような悲惨な生活を送る者が多かった。

9C平安時代

794〜1192平安京に都が置かれ、天皇・貴族が政治権力をもっていた時代。9Cには律令制衰退が目立ち、11〜12Cに摂関政治・院政が展開し、12C後半には平氏が政権を握る。

◎桓武天皇は律令政治の立直しに努力した


★KEY-POINT


◎荘園は増大し、律令政治は衰える一方

貴族・寺社や地方豪族の私有地である荘園は、荘民という農民をかかえ荘園領主が経営した。


★KEY-POINT

以上の2つを持つ有力な貴族・寺社への荘園の寄進がすすんだ。


10世紀以降、班田収授法は実施されず、公地公民制は崩れ、朝廷の収入は減少した。かわって多くの荘園の寄進をうけた藤原氏の経済力が強まった。

◎荘園を基盤にした藤原氏が、摂関政治を行なう


★KEY-PINT


◎遣唐使の廃止で、国風文化が発達


★KEY-POINT


◎スペースが余ったから資源の有効活用!

天平文化
聖武天皇の時に栄えた。大仏建立は天皇の力の強大化を示すが、それを発表した年は墾田永年私財法を定めた年でもあった。
遣唐使は権の与えた政治的影響は?
中央集権国家の形成。僧・留学生らが皇帝中心の唐の国づくりを見て来たことで、大化の改新以来、唐の制度にならった中央集権国家の形成が進んだ。
蔵人とは何者?
朝廷の記録を扱う令下の官。天皇と太政官の間の連絡をとって有力な役となった。
荘園を中央の有力貴族に寄進した領主はどうなったの?
荘官となった。自分の土地の権利を保護してもらうかわりに、年貢を納め、自分は荘官となって、実際にその土地を支配した。
かな文字の文学の代表的作品は?
「土佐日記」紀貫之、「源氏物語」紫式部、「枕草子」清少納言、「古今和歌集」紀貫之など。

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