第4回 律令政治の世の中
奈良時代
710〜784年、奈良に都が置かれていた時代。律令国家の発展期であると同時に、政治・社会面で動揺の激しい時代でもあった。
◎平城京を中心に国家の力が充実する
- @708年、和同開・というわが国初の貨幣を発行。
- A710年、唐の長安にならった都、平城京に藤原京から移る(元明天皇)。
- B聖武天皇
★KEY-POINT
- 国ごとに国分寺・国分尼寺をたて、平城京に東大寺と大仏を建立、仏教で国を安じようとした。
- 東大寺の正倉院は校倉造で、聖武天皇らの遺品を収納…ペルシアのガラス器、インドの楽器など。
◎貴族による仏教中心の天平文化が栄える
- 天皇・貴族が仏教を重んじた→仏教文化(正倉院の御物・東大寺の大仏)
- 遣唐使が派遣され、唐の文化が流入→唐風文化
- わが国最初の歴史・地理・和歌の書物が生まれた。
- 「古事記」「日本書紀」…「古事記」は天武天皇が稗田阿礼に命じて覚えさせた伝承を太安麻呂が筆録したもの。「日本書紀」は舎人親王らがまとめた歴史書。
- 「風土記」…国の地名の由来・産物・伝承などを記載。
- 「万葉集」…770年頃成立。編者は大伴家持か。和歌を約4500首収録。万葉仮名で記され、天皇から農民までのものをおさめている。
◎公地公民制は奈良時代の半ばに崩れ始める
律令制度を支えていたのは租庸調に代表される税制。しかしこの税負担がとっても普通の農民にはきつい。それに人口も増えてきた。さぁ、たいへん。
農民の生活苦→逃亡・浮浪→口分田の荒廃→口分田の必要→税収確保のため、朝廷が開墾を奨励する。
人口の増加→新しい口分田が必要
★KEY-POINT
- 723年→三世一身法…新しく開墾した土地は三代に限り私有を認める。
- 743年→墾田永年私財法…新しく開墾した土地は永久に私有してもよい。→荘園の始まり
この2つの法は、律令制の基礎である「公地公民」を崩すきっかけになったから、重要。2つとも漢字で書けるようにしておこう。
さて、有力貴族や寺社は、浮浪する農民を集め、土地を開墾して私有地を増やした。この私有地が荘園の始まり。
◎農民の生活
租税や労役に苦しんでいたのは先述の通り。この頃の住居は原始時代とあまり変わらない粗末なたて穴式住居が多く、山上憶良の貧窮問答歌(万葉集に収録)にみられるような悲惨な生活を送る者が多かった。
9C平安時代
794〜1192平安京に都が置かれ、天皇・貴族が政治権力をもっていた時代。9Cには律令制衰退が目立ち、11〜12Cに摂関政治・院政が展開し、12C後半には平氏が政権を握る。
◎桓武天皇は律令政治の立直しに努力した
- @794年、桓武天皇は平安京をつくって都とした(仏教の政治介入を防ぐため)。
- A蔵人や検非違使(京都の治安維持)などの令外の官をつくった。また、国司に対する監督を厳しくし、班田収授法の実施に努力した。
- B坂上田村麻呂を征夷大将軍に任じ、東北の蝦夷を討つ。
- C仏教界の改革勢力を保護し、奈良の寺社勢力と対抗。
★KEY-POINT
- 空海(弘法大師)…金剛峰寺(高野山)で真言宗━━━┓
- 最澄(伝教大師)…延暦寺(比叡山)で天台宗━━━━┻━新仏教
◎荘園は増大し、律令政治は衰える一方
貴族・寺社や地方豪族の私有地である荘園は、荘民という農民をかかえ荘園領主が経営した。
★KEY-POINT
- 不輸の権…荘園の租税を収めなくてよい特権
- 不入の権…国司が荘園に入るのを断る特権
以上の2つを持つ有力な貴族・寺社への荘園の寄進がすすんだ。
10世紀以降、班田収授法は実施されず、公地公民制は崩れ、朝廷の収入は減少した。かわって多くの荘園の寄進をうけた藤原氏の経済力が強まった。
◎荘園を基盤にした藤原氏が、摂関政治を行なう
★KEY-PINT
- 摂関政治とは…藤原氏は娘を天皇の妃にし、生まれた子を天皇の位につける。天皇が幼いときは摂政、成人したら関白として、政治を行なう。
- 藤原氏の全盛期は…藤原道長と、その子頼道のとき(10〜11世紀)。
◎遣唐使の廃止で、国風文化が発達
- 菅原道真の意見→遣唐使廃止(894)の影響。
- かな文字の発明→国文学の発達。
- 貴族の生活様式→寝殿造、大和絵の絵巻物。
★KEY-POINT
- 浄土信仰━┳━藤原頼道→平等院の鳳凰堂(宇治市)
- ┗━奥州の藤原氏→中尊寺の金色堂(岩手県)
◎スペースが余ったから資源の有効活用!
- 天平文化
- 聖武天皇の時に栄えた。大仏建立は天皇の力の強大化を示すが、それを発表した年は墾田永年私財法を定めた年でもあった。
- 遣唐使は権の与えた政治的影響は?
- 中央集権国家の形成。僧・留学生らが皇帝中心の唐の国づくりを見て来たことで、大化の改新以来、唐の制度にならった中央集権国家の形成が進んだ。
- 蔵人とは何者?
- 朝廷の記録を扱う令下の官。天皇と太政官の間の連絡をとって有力な役となった。
- 荘園を中央の有力貴族に寄進した領主はどうなったの?
- 荘官となった。自分の土地の権利を保護してもらうかわりに、年貢を納め、自分は荘官となって、実際にその土地を支配した。
- かな文字の文学の代表的作品は?
- 「土佐日記」紀貫之、「源氏物語」紫式部、「枕草子」清少納言、「古今和歌集」紀貫之など。
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