
第3回 古代統一国家の完成
◎6世紀になると、大和朝廷がぐらついた
 有力豪族の強大化などで、天皇中心の体制が揺らぎはじめたので、聖徳太子が登場→この因果関係を押さえよう。聖徳太子について覚えることは、次の5ポイントだけ。
★KEY-POINT 
    - 593年に推古天皇の摂政となる。 
- 天皇中心の政治をとりもどそうとした(中央集権国家)。
    
- 冠位十二階……氏や姓によらない人材の当用。
    
- 十七条の憲法…朝廷に仕える役人の心得。
    
- 遣隋使…………小野妹子ら。天皇の権威の誇示。
    
〔最重要資料〕十七条の憲法 
    - 和をもって貴きとなす。(人の和を第一とせよ)
    
- あつく三宝をうやまえ。(仏教を厚く信仰せよ)
    
- 詔をうけたまわりては必ずつつしめ。(天皇の命を受けたならば、必ず守れ)
    
◎中国と朝鮮の様子も知らなければならない
★KEY-POINT 
    - 隋……南北朝時代を統一したが、30余年で滅びた。
    
- 唐……隋にかわって中国を統一。中央集権国家。長安。
    
- 新羅…朝鮮半島を統一。 
◎飛鳥文化は国際的色彩をもつ仏教文化
★KEY-POINT 
    - 渡来人がきずいたわが国最初の仏教文化 
- 聖徳太子の法隆寺とその釈迦三尊像など 
- ガンダーラ美術(玉虫厨子の唐草模様)やギリシア建築の影響
    
せっかく蘇我氏の勢力をおさえこんだ聖徳太子も、その政治の理想を実現できないまま、亡くなった。そのあと蘇我氏の勢力は、大王(天皇)をしのぐようになって、政治を支配したことに注目しよう。
◎天皇中心の国家体制づくりがすすむ
 @大化の改新…最有力豪族の蘇我氏を滅ぼす。
★KEY-POINT 
    - まず人名→中大兄皇子と中臣鎌足 
- 次に年号→645年 
- そして最後に公地公民→豪族の土地・人民を天皇のものにする。
    
    - 白村江(ハクソンコウ)の戦い…朝鮮の百済に援軍を送るが、唐と新羅に大敗(663)。この後国内の改革に全力を注ぐ。
    
- 壬申の乱(672)…天智天皇(中大兄皇子)の死後、大海人皇子が大友皇子を破って天武天皇となり、豪族の力をおさえ、天皇家の権威と地位を高めた。
    
- 大宝律令(701)…文武天皇のときに制定。これによって、わが国の政治は法律に基づいて行なわれるようになり、天皇を中心とする中央集権の仕組みが整った。このような国家を律令国家といい、その中央集権の政治を律令政治という。
 
 大化の改新で示された改革の方針が、50年ほどの間に、唐の仕組みをまねて、次第に実現されてきた経過を、きっちり理解しておきたい。
◎班田収授法などの律令制度のしくみをつかむ
@官制…中央に2官8省。地方に国司を派遣、その下に郡司(地方豪族を任命)。九州に太宰府。A土地制度
★KEY-POINT
班田収授法…戸籍をつくる→6歳以上の男子には2反、女子にはその3分の2の口分田を与える。(死亡すると国に返却、土地の売買は禁止)
B税制 
    - 租……収穫高の約3%の米……国司へ 
- 庸……労役(年10日)か布 
- 調……地方の特産物    …朝廷まで運んで納付
    
- 雑徭…年間60日の労役…………国司へ 
C兵役 
    - 衛士…都の警備(1年) 
- 防人…北九州の防備(3年) 
D身分制度 
    - 良民…豪族は貴族となる。一般の農民は公民となる。
    
- 賎民…奴婢(朝廷や貴族・寺社・地方豪族が所有)。
    
◎白鳳文化?
天武・持統・文武の3天皇の時代の、新しい気風と活力のみなぎった文化。薬師寺の東塔・法隆寺金堂の壁画など。
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