清は満州族が支配していることは、かなり前の授業で解説した。20世紀になると清でも紡績を中心とした軽工業が発達していたのだが、まだ弱体であった。そのため常に外国資本に怯えていたのだが、特に外国資本と手を結ぼうとしていた清に民衆は不快感を持ちはじめていた。こうして、打倒清の革命運動がスタートするのである。この運動の指導者であった孫文は三民主義を提唱した。打倒清と漢民族の復権を目指す「民族主義」、人民主権を目指す「民権主義」、産業の発展と土地に対する権利の平等をめざす「民生主義」のことであるが、これらは次第に支持を集めるようになった。
これらの運動は、1:日露戦争の日本の勝利が、2:中国国民の自覚の高まりと、重税による生活苦から清を倒そうとする革命運動を生み、3:孫文が三民主義を唱えることになったのである。そして4:辛亥革命(1911)がおきると、清は外国資本で鉄道の国有化を図ろうとし、5:本格的な革命がおきちゃったのである。こうして6:中華民国(1912)が、孫文を臨時大総統として成立した。しかし、軍閥の袁世凱は清の皇帝を退位させ、大総統の地位を孫文から譲り受け、独裁政治をはじめた。
ヨーロッパでは、欧州を中心とした大戦争は必至であるとされ、各国は周到な準備を進めた。ところで、下の表にある3B&3C政策について解説しよう。3B政策はドイツが採った政策で、ベルリン・ビサンチウム・バグダッドを死守しようというもう。一方の3C政策はイギリスのもので、カイロ・ケープタウン・カルカッタを結ぶ地域を守ろうというものである。この二つの政策の地域が一部重なったため、そしてヨーロッパの火薬庫といわれていたバルカン半島でサラエボ事件がおきたために大1次世界大戦が勃発した。このサラエボ事件というのは、サラエボを訪れていたオーストリアの皇太子夫妻が、セルビア人の青年に殺された事件である。
各国の関係図 日本 英露協商 日英同盟│ ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ │ ┃3C政策 3B政策 ┃ イギリス ┌────ドイツ────┐ ロシア ┃ │ │ ┃ 英仏協商 ┃ イタリア──────オーストリア ┃南下政策 ┃ ┃ フランス━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ─:三国協商 ━:三国同盟
この大1次世界大戦は、戦闘員の戦死者900万人、非戦闘員の死者1000万人、負傷者2200万人という史上最大の犠牲者をだした。ドイツは東部戦線で緒戦に勝利したが、のちに膠着状態に陥った。西部戦線も同じ。そしてアメリカが参戦してきて、ロシアは国内で革命がおきドイツと単独講和。そしたらドイツ国内でも革命がおき、ドイツ降伏で終決。こうしてベルサイユ条約が結ばれた。
★KEY-POINT
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日本は、大1次世界大戦を、大陸侵略の好機として、山東半島でのドイツの権益を日本が引き継ぐこと、満州・モンゴルでの日本の権益をひろげることなど、二十一ヵ条の要求を、中華民国・袁世凱政府に突き付けた。中国では排日・抗日運動が高まった。
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