水曜どうでしょうパート『中米・コスタリカ 幻の鳥を激写する』2004年3月


そうそう、簡単にこのツアーを終了させることは出来ない。
ということで、空港で調達したレンズ付きフイルムのみでケツァールと対決することとなった。


さて、コスタリカ、である。
地図で見ると、パナマの隣にある。
日本と比較しても、面積はずいぶん小さそうである。
しかし、だからといって「幻」とまで言われている鳥をこの国土で探し出すのには無理がある。
で、地元の旅行会社にケツァールに遭遇できる場所を教えてもらうこととした。


サベグレ、という自然保護区(?)が最近のお奨めらしい。

サベグレ。

本家「水曜どうでしょう」班が予定を急遽変更して行った、あの場所である。
こちらが指定していないにも関らず、この旅行会社は、素晴らしい場所を薦めてくれるではないか。

こうなると、気になるのはホテルである。
サベグレ・マウンテン・ホテル、というところが今回の宿らしい。
本家「水曜どうでしょう」班が泊まったのは、「サベグレ・ホテル」。
マウンテン、の文字が余計に存在するのが気になる。
しかし、この際、マウンテン、などは誤差のうちである。
写真さえ載せなければ、いや、こんな「マウンテン」の文字が余計である、などとホームページで書かない限り、本家「水曜どうでしょう」班と同じホテルに泊 まりました!
、と言ったって、バレやしないのである。

ということで、今回は、本家「水曜どうでしょう」班と同じホテルに宿すこととなったのである。


2004年3月7日午前6時40分


今回の「中米・コスタリカ 幻の鳥を激写する」企画に同行してくれる旅行会社がホテルに来る。
おじさんを想定していただけに、あまりの若さ(自分と1歳違い)にびっくりする。


2004年3月7日午前8時


先ず、サベグレに立ち寄る前に、事前の観光である。
IRAZU火山観光である。
今回の「中米・コスタリカ 幻の鳥を激写する」ツアーの先行きを暗示するかのような、素晴らしい曇り空である。
IRAZU火山
旅行会社の人曰く「絶対に、火山は見られません」。
・・・
緒戦から敗退である。
先行き、怪しすぎである。


2004年3月7日午前11時

サベグレ・マウンテン・ホテル着。
どこかで見たホテルである。
どこで見たのだろう。
言うまでもない。
本家「水曜どうでしょう」班が泊まった、あのホテルである!
素晴らしい!
これで、初戦敗退の風向きが変わるか?


2004年3月7日午後

ホテルが無料で配布している地図を元に、トレイル(trail)に出かける。
番組内でも「全く役に立たない」とコメントされていた、そのまんまの地図である。
学習していない。
本当に使えないのである。
どこに何があるのか、わからない。
結局、とぼとぼと一本道の山道を登り始めるのであった。

意気揚々と、山道を登り始めるのであるが、
たった数分で、
肩で息をするほど疲れ始めた。

サベグレ。
標高は、3000〜4000メートル。
高山である。
普通なら、高山病にかかってもおかしくない、
そんな高さである。

それを忘れて、いきなり登り始めたのであった。
無謀さを実感した一瞬であった。

明日は、いよいよ本格的にケツァールを探索に出かける。
その際には、地元のガイドを雇うのだ。
何故かって?
日本と比較したらそりゃぁ狭いコスタリカかもしれない。
が、そうは言ったって、鳥一匹見つけるにはあまりにもだだっ広い。
そんな中から、「サベグレ」というポイントにたどり着いたわけだが、ここだって、
広ぉ〜い、のである。
だから、地元で暮らしている、ケツァールガイドで飯を食っている人に案内をしてもらうのだ。
何せ、幻の鳥、なのだから。

で、ガイドをつけないトレイルである。

見つかるわけがない。

ケツァールの泣き声、旅行会社の人に教えてはもらった。
が、そんなの、簡単に覚えられるわけがない。
ガイドがいないサベグレ探索は、単なる森林浴、あるいはハイキングである。
日本では見られない木々が生えているところもある。
が、そうでないところは、「ここは奥多摩です!」といったって、わか りゃぁしない。

こうしてコスタリカの初日は敗退続きで幕を閉じたのであった。


2004年3月8日午前8時

いよいよ、本番である。
ガイドは、農場主さん。
ホテルの近くで農場を営んでいる。
ホテルの観光客相手に乗馬で儲けている!?

この人の農場にはケツァールがたくさん出るらしい。
この「幻の鳥を激写する」ツアー直前のツアーでは、それこそ何羽いるかわからない程のケツァールがそこかしこにいたらしい。
「初めてケツァールとのツーショットに成功しました」
とまで旅行会社の人は宣うではないか。
期待大である。

で、その農場だ。
5分が経過した・・・・・・・

10分が経過した・・・・・・

15分が経過した・・・・・・

1時間が経過した・・・・・・



ケツァールの声だ!

声を大にして言うわけである。
「あれ、ケツァールですね!」

すると、旅行会社の人は答えるのである。
旅行会社「今のは、私の口笛です

「・・・・・・」

こうして、第一ポイントは終了した。


次は、当然第三ポイントにワープせずに、順を踏んで第二ポイントへ移動である。
どうやら、ここにはケツァールの巣があるらしい。
期待大である。
来ることがわかっていれば、持久戦を開始するわけである。

5分が経過した・・・・・・・

10分が経過した・・・・・・

15分が経過した・・・・・・



また泣き声が聞こえた。

期待が高まるわけである。

が、

案の定である。

旅行会社「今のは、私の口笛です

・・・・・・


ヒゲのおじさんが近づいてきた。
若い女性を二名引き連れて、である。
なにやら凄く高価そうな望遠鏡を持参でやってきたのである。
どうやら、このヒゲのおじさん、ケツァール・ガイドであるらしい。

1時間が経過した・・・・・・

待てども待てども、ケツァールは来ない。

こうして、ケツァールの午前中の活動時間は過ぎていったのである。


2004年3月8日午後

昼間は鳥全般の活動が鈍る。
夕方までじっと待たなければならない。
仕方が無いので、滝を見に行ったりするわけである。
夕方まで待たなければならないだけあって、鳥には全く遭遇しないのであった。

さて、夕方である。
また午前の第一ポイントに向かうのであった。

5分が経過した・・・・・・・

10分が経過した・・・・・・

15分が経過した・・・・・・

1時間が経過した・・・・・・

以上である。

そこで、次のポイントに向かうのである。
今度は、新たなポイントらしい。
旅行会社曰く
「ケツァールに遭遇したら、土地所有者にお金を払う」
ことになっているらしい。

で、向かったのである。

初めての場所なのに、何故か見覚えのある土地。
何故だろう。

理由は明快であった。

本家「水曜どうでしょう」班がケツァールに遭遇した、あの農場である。

期待に胸が高まるのであった。

で、ケツァール探しが再び再開されるのであった。

5分が経過した・・・・・・・

10分が経過した・・・・・・

15分が経過した・・・・・・

もう、言うまでもあるまい。

来ないのである。

旅行会社の人は、益々焦るのであった。
で、農場所有者に問いただすのである。
「おい、見られないじゃぁ~ねぇか!」
と。
すると、懇切丁寧に答えてくれるわけだ。
今の時期、この土地に、ケツァールの餌が無いので、来ないよぉ〜ん
と。

来ない。
ケツァールはいない。
要するに、ケツァールはここでは見られない。
そう、農場所有者は言っているのである。

こうなると、することは一つしかない。

どうでしょう農園での記念撮影のスタートである。

こうして、“実質的な”ケツァール探索の二日目は幕を閉じたのであった。


2004年3月8日夜

夜である。
ケツァールを探索することは不可能だ。
しかし、新たなケツァール探しの幕開けである。


旅行会社の人は言うわけである。
「自然相手だから、遭遇できるかはなんとも言えません」
そりゃぁ、そうであろう。
絶対に見られます、と言って見られなければ、訴えられちゃうのである。

でも、である。
この旅行会社の人はこう言っているのである。
私のここでのケツァールの遭遇率は、今のところ100%です。
と。

となると、当然焦るわけだ。
旅行会社も。
なんとしてでも遭遇しなければならない。
100%遭遇率を維持しなければならない。
お客様を満足させなければならない。
素晴らしい!

そこで、新たな策を講じるのである。

旅行会社の人は我々に尋ねるのである。
そのテレビ番組(水曜どう でしょう)のガイドは誰ですか?

おぉ!
新たな戦略である。
ケツァールにあえないならば、ガイドに会おう!
なんとも機転が利くではないか。
完全に本末転倒で ある。

その心意気、高く評価しようではないか。

今回コスタリカにあたっては、当然のことながら事前学習をしてくるわけである。
本家「水曜どうでしょう」の「中米・コスタリカ 幻の鳥を激写する」のビデオを見直すのである。
ぬかりはない。

そう、ガイドの名は、“マリーノ”である。

となると、旅行会社の人は捜索を開始するのである。

すると、いとも簡単に突き止めるのである。

このサベグレに、マリーノ、という名前の人物は一人しかいない。
しかも、その人は、なんと、サベグレ・マウンテン・ホテルの関係者というではないか!

既にすれ違っていたのかもしれない。
そんな期待に胸が膨らむのであった。

そこで、マリーノ探しが本格的にスタートするのであるが・・・

またしても、

出鼻をくじかれるのであった。

「明日の朝7時に来る」

らしい。
何故か。
夜は働く気はないらしい。
なんとものんきである。

が、旅行会社はこれだけでは終われない。
新たな“ネタ”を仕入れてくるのである。

「マリーノには弟がいます」

素晴らしい。
だからどーした、という情報である。

が、

しかし、

である。

ここからが凄いのだ。

その弟は、本家『水曜どうでしょう』班の撮影時に、兄のマリーノと取材に同行して いました

素晴らしい!

が、

しかし、

である。

驚くのはまだ早い。

「その弟は、本家『水曜どうでしょう』班が路線バスで国道を下りて、国道沿いで待っていたのを迎えに行った」張本人である

というではないか。
しかも、

今、その『マリーノの弟』本人から話を聞いてきました

というではないか。

兄「マリーノ」とは異なり、働き者である。

と、目の前を通り過ぎる、ではないか。
マリーノの弟が。

となれば、することは一つである。
マリーノの弟
こうしてケツァール探索の二日目は幕を閉じたのであった。


2004年3月9日午前

ケツァール探索三日目である。

まずは、マリーノである。
朝、7時になったので、マリーノ探索を開始するのである。
すると、いるではないか、マリーノが。
山の男は時間に正確である!?

遂に対面である。
と、
どこかで、
見かけた顔である。

それは、
当然である。

テレビで見たから、
だ。

というオチではない。

昨日のケツァール探索で、
若い女性二名を引き連れていた、
あの、
ヒゲのケツァール・ガイド
である!!

というわけで、
マリーノ
以上、終了である。

今日は、ケツァール探索三日目。
しかし、今日は、同時に移動日でもある。
次なる探索地へ向けて出発するのである。
車の中からケツァールを探しながら、一路、次なる目的地へ向かうのであった。

次なる目的地。
その地をサラピキという。

ホテルの雰囲気は良い。
ジャングルの中にホテルがあるのだ。
しかも天候は曇りのち雨。
いかにも、やつ、いや、ケツァールが現れそうな土地である。

勇んでジャングルに向かうわけだ。
ケツァールを求めて。

と、

ガイドから、

とんでもない、

耳を疑う、

信じられない、

いや、

信じたくない、

信じてはならない、

言葉を聞かされるのであった。

「ここにはケツァールはいません。」



おい、こら!(怒)
ケツァールを求めてはるばる日本からコスタリカまで来たんだぞ!
どーして、ケツァールがいない地に足を運ばなければならないんだ!
おかしいじゃねぇか!
なんでケツァールがまだ見られてもいないのに、こんなところまで来なければならねぇんだ!

しかし、である。
いくら怒っても仕方がないのである。
ということで、渋々ラフティングをすることとした。

ラフティング。
その最中に、聞かれるのである。

「おい、おまえ、この川で泳がねぇか?」
「いや、泳がねぇ」
「おい、本当に泳がねぇのか?」

何度も何度も聞かれるのである。
泳いではならないのである。
また、泳ぐごとを奨めてもならないのである。

なぜならば、

この川には、

ワニ、

が、

いるからだ!

ワニ

財布になっていれば、

怖いことはない。

中身が空っぽであれば、

確かに怖い。

お札が詰まっていれば、

最高である。

が、

しかし、

である。

生きていたら、

食べられてしまうかもしれないのだ。


こうして、頑なに泳ぐことを拒み続けたのである。

ちなみに、だ。
ワニがこの川に生息していることは、
帰国後に知った(爆)。


こうして、ケツァール探索三日目は意味不明の幕を閉じたのである。


2004年3月10日

また移動である。
しかし、今度は事前に確認する訳である。
今日の目的にはケツァールがいるのか、を。

と、旅行会社は答えるのだ。
「います」

当然、疑念が生まれるわけだ。
あなたがケツァールの格好をして森の中に隠れるんじゃぁねぇーだろうな、
と。

しかし、旅行会社はきっぱりと答えるのであった。
「います」

信じようではないか。

今日の目的地を、モンテベルデ自然保護区、という。
ガイドブックを見れば、大変なページ数が割かれている、
有名な自然保護区である。
期待大である。

というわけで、移動開始だ。
途中、ポアズ火山、という名所に立ち寄る。
イラズ火山を彷彿させるほどの濃ぉ〜い霧である。
もの凄く濃ぉ〜い、のである。
ポアズ火山時間の許す限り、
約2時間、
現場で粘るわけだ。
ケツァールに遭遇できるかの運命を占うためにも。

が、
しかし、
自然とは無情である。

霧は晴れなかった。

ケツァールと遭遇できるか、益々、自信がなくなってしまうのであった。

結局、目的地に辿り着いたのは、午後9時過ぎ。
ケツァールなど、探索に向かう状態ではなかった。

しかし、1週間も降り続けたという雨が、この夕方になって晴れた、というではないか。
ようやく、運が向いてきたようである。
快晴の夜空に願いを込めて、床についたのであった。


2004年3月11日午前

翌日は、また早朝に出発して、コスタリカの首都サンホセへ向かい、帰路につかなければならない。
実質的にケツァール探索に残された時間は、この日一日である。

天候は、晴れ。

快晴である。

遂に、

運が向いて、

いなかったのである(;_;)。

ホテルの、部屋の真上までは、快晴である。

が、

部屋の裏側、

つまり、

これから向かう、

ケツァールが生息しているはずの、

森は、

濃霧である。

もしかすると、

濃霧ではなく、

大雨かもしれない。

悪夢である…


しかし、勇猛果敢にも、この森に向かうのであった。

濃霧である。
時には土砂降りである。
鳥など、
活動するわけがないのである。

この森の、最も美しい View Pointでの写真がこれである。
絶景
こうして、午前の部は、幕を閉じたのであった。


2004年3月11日午後

さて、服装である。
ケツァールが生息する地は、山の中である。
標高2000〜4000メートル、という山の中である。
ということは、
中南米といえども、

のである。

が、
何を血迷ったのか、
服装は、
短パン・Tシャツ、
だけでコスタリカに乗り込んでしまった。

赤道周辺である。
中米である。

しかし、
寒いのであった。

そこで、アイスクリーム屋で防寒具を購入するわけである。
なぜ、アイスクリーム屋なのか、疑問に思うだろう。
解説しようではないか。
このアイスクリーム屋、モンテベルデの最新ファッションの発信基地なのである。
だから、このおいしいアイスクリーム屋で、
その最新ファッションで飾られた防寒具を購入したわけである。
ただ、それだけである。

寒いのにアイスクリームかよ、
と、突っ込みたくもなるだろう。
森以外の部分は、
快晴なのだ。
暖かいのだ。
だから、
アイスクリームが食べたくなるのだ。

モンテベルデの最新ファッションの防寒具。
Rain Forestとも呼ばれるモンテベルデ、である。
当然、耐水性もあるわけである。
だから、購入するわけである。

と、
親切な旅行会社の人は、
購入後に、
店員に、
聞いてくれるわけだ。

「これは、耐水性もあるよ、ね?」

すると、店員は答えるわけである。

ないよ

と。

ない!?

なにぃ〜!?

ケツァール探索最終日にして防寒具を買い、
既に、
時を完全に、
逸している上に、
耐水性が、
皆無、
なのである。

結論を端的に述べると、
無駄な買い物
であった。

益々、夕方のケツァール探索、雲行きが怪しくなってきたのである。


さて、遂にその時がやってきた。
最後のケツァール探索の時である。
天候は、晴れ。
快晴である。
午前同様、
森以外、
に限った話ではあるが。

では、森の天気は?
土砂降りである。

が、
しかし、
最後の時である。
勇猛果敢にも、
そして、
連敗続きで気分はどん底ではあるけれど、
森に向かうのであった。


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