1929年、アメリカで株価大暴落→恐慌(極端な不景気)が世界に広がる(世界恐慌)。恐慌がおきる原因は公民で学ぶ。ここで注意することは、この恐慌に対して採った、各国の政策。特にアメリカは絶対!!
★KEY-POINT
1〜4の国は二つに分類できる。一つは植民地を持つ国で、もう一つは植民地を持たない国。植民地のないドイツ・イタリア・日本は外国に進出することでその国を植民地化して活路を見いだそうとした。こうして日本は中国に進出することになるのであった。
ここでいくつかおまけをプレゼント。世界恐慌の余波が吹き荒れるなか、この恐慌の影響を受けなかった国がある。ソ連である。社会主義国であったため、国が計画的に生産量や販売量を決めて、経済を運営していたから。スターリンがつぎつぎと5ヵ年計画を実施。次にファシズムについて。これは全体主義と訳す。これに影響されたのがイタリアのファシスト党、ドイツのナチス、日本の軍部などの独裁政治。さて、このファシズムに反対していた政治運動がある。人民戦 線運動という。戦争とファシズムに反対する。スペインの人民戦線政府はドイツ・イタリアの干渉で崩壊。一方このころの日本の政党はどんな状態だったか。というと、恐慌のなかで経済力を強めた財閥と結びついた。財閥はこれによって政治力をのばした。
★KEY-POINT
満州国では、日本が、溥儀(清の最後の皇帝)を執政、のち皇帝にたてた。中国は国際連盟に日本の侵略を訴え、その調査団も、日本の行動を侵略であるとして、満州国を認めなかった。この時の国際連盟に参加していた日本の外相松岡洋右は椅子を蹴飛ばして退場した。こうして日中・太平洋戦争が幕を開けるのであった。
★KEY-POINT
日本で最初の内閣は、伊藤博文内閣。最初にできた政党内閣は、大隈重信と板垣退助による隈板内閣で、自由党と進歩等が合同してできた憲政等を中心にしていた。この内閣は4ヵ月程でつぶれたので、最初の本格的な内閣としては、原敬内閣ということになる。「本格的な」という言葉に注意。
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